深大寺そばの特徴と歴史を紹介!蕎麦の街の発展と神代植物公園の関係

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深大寺そばの特徴と歴史を紹介!蕎麦の街の発展と神代植物公園の関係 深大寺そば

東京でも有名なそばの町、深大寺。深大寺そばの特徴と蕎麦の街として発展していった歴史を紹介します。

多くの方に美味しいと言われる深大寺そばですが、一方でマイナスの意見もあります。

なぜ、そのような意見があるのか自分なりに考察してみました。

深大寺そばの特徴

深大寺そばは、のど越しが良く上品な感じがする蕎麦を提供しているお店が多いです。

風味の良い、食べやすそばが特徴です。

深大寺そばの味がどうかと説明するのは実はちょっと難しい。。

というのも深大寺そばはお店ごとに味が違うからです。のど越しが良い二八蕎麦もあれば、蕎麦の香りが強い九割り蕎麦もあります。

お店ごとに使っている粉が異なります。深大寺産のそば粉は存在せず、お店ごとに選りすぐりのそば粉が使われています。

現在の深大寺そばの味は一律ではなく、お店ごとの特徴があります。

だから、深大寺そばの味はコレ!とひとくくりに言う事は出来ないんですよね。

いろんなそばがお店ごとに味わえるのが大きな特徴です。

深大寺で食べたそばが「深大寺そば」という事になるんですよね。

その理由は深大寺そばの歴史にあります。

深大寺そばの歴史と発展

深大寺蕎麦に関する歴史を調べると、深大寺そばの歴史は諸説あります。

深大寺の僧侶が蕎麦打ちをしていたことや徳川家光が鷹狩りの際に深大寺に立ち寄って蕎麦を食べ絶賛したとも言われています。

深大寺そばの名前が広まった理由として挙げられます。

いくつかの文献が紹介されることで、深大寺がかなり昔から蕎麦の町として栄えたというイメージを持ちやすいのですが、実際はそういうわけではありません。

深大寺の蕎麦に関する説は古いものですが、昔から現在のようなそば屋が並ぶ蕎麦の街という事ではなかったのです。

深大寺の蕎麦はどこで栽培されていた?

そば畑

深大寺そばは当初、深大寺の僧侶が採れた蕎麦の実から蕎麦を打っていました。

深大寺でのそば栽培は深大寺の裏山。現在の神代植物公園の一部の場所で行われていたようです。

蕎麦は比較的条件の悪い土地で収穫が出来るようで、深大寺でそば栽培に向いているとされていたそうです。

ただ、蕎麦の栽培が本格的に農家によって行われていたわけではなく、江戸時代の頃に蕎麦畑があったか明確には分かりません。

少なくとも昭和初期の頃に深大寺の町で蕎麦の栽培が本格的に行われていませんでしたし、そば畑やそば農家があったというわけでもないようです。

深大寺の裏山の場所を使ってそばを収穫をしたのではないかということであり、実際に裏山では他の作物の畑があったそうです。

神代植物公園の前身となる緑地が整備され、神代植物公園が開園してからはその裏山もなくなってしまいましたので、蕎麦の実が取れていたとされる場所もなくなってしまっています。

それでも、深大寺そばは発展していくのですが、その発展には神代植物公園の開園が大きく関わります。

深大寺のそば屋の発展

深大寺街並み

昭和初期、深大寺のお寺の周辺はなーんにもない土地だったそうです。

深大寺の境内の周りでの商売の始まりは、深大寺の縁日(だるま市)に合わせて地元の方が牛丼を売っていたそうです。

ほかにも自宅でゆで卵や果物を並べて縁日に来る人相手に商売をしていたのが始まりです。

昭和30年前後にサイクリングブームがやってきて、深大寺の緑地。神代植物公園の前身となる広場に週末になるとサイクリングにやってくる人が増え、その人たちが深大寺にお参りに来るようになりました。

その、サイクリング客に向けて、あんぱんやアイスクリームを売り始め少しずつお店の形が出来ていきます。

このように深大寺に訪れる人が増えてきたのです。

また、その頃には深大寺に京王バスが乗り入れるようになります。

そして神代植物公園も開園し本格的に深大寺が観光地化していきました。

同じ時期、深大寺周辺で牛丼や果物、アンパン、アイスクリームを売っていた人が蕎麦を売り始め、徐々にそば屋が増えて行きました。

「深大寺そば」の名前だけが残り、神代植物公園のオープンにより深大寺が観光地化していき、それに合わせるようにそば屋が増えていったというのが深大寺のそば屋の歴史になります。

年代などは少し前後するかもしれませんが、このような歴史があります。

ちなみに深大寺で最初の蕎麦屋は、意外なことに境内の中にありました。山門をくぐって左手のところに1軒そば屋があったそうです。

境内の外で縁日に合わせて商売している人はそれ以前からいましたが、そば屋はまだなかったそうです。

そば屋は「時雨茶屋」といいます。そば屋としてはこの時雨茶屋が一番最初にそばを売った店だそうです。

その後、時雨茶屋は境内の外に場所を移し営業しましたが、ご主人の高齢化に伴い閉店となり、現在は深大寺での名所のひとつである「鬼太郎茶屋」に生まれ変わりました。

 

本格的に蕎麦の栽培がなかった深大寺。そのため、深大寺そばのお店は独自にそば粉を選び、取り寄せて研究を重ねて美味しい蕎麦を提供しているのです。

結果、深大寺そばはお店にごとに異なる蕎麦が楽しめるようになっていったのですね。

そういう意味では深大寺地産のそば粉は幻の蕎麦で、今では本当の深大寺そばを食べることは出来ないのです。

後年、深大寺そば組合がそば畑を作るなど、様々な試みをし深大寺そば発展のために努力し深大寺や調布市などと協力して発展に尽力しています。

その中で行列のできる深大寺そば屋が出来たりと、人気の観光スポットの地位を守り続けています。

まとめ

深大寺そばの特徴と歴史を紹介しました。

深大寺そばの歴史は深大寺でとれた蕎麦を僧侶が打っていったのが始まりと言われ徳川家光が絶賛したことで有名になったと言われています。

深大寺で本格的にそばの栽培がおこなわれることはありませんでしたが、神代植物公園の開園と共にそば屋が増え、そばの街として発展していきます。

深大寺そばの特徴はのど越しの良い白っぽい蕎麦が特徴です。お店によては蕎麦の風味を味わえる黒っぽい蕎麦も楽しむことが出来ます。

お店により、それぞれの特徴がありますのでいろんなお蕎麦を楽しめるのも魅力です。

是非行かれた際はそば屋巡りも楽しんでください!

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